2022/10/23

エッセイ集【愛犬の寝言】1 2022.10.23

 「伊都国への、いざない」2022.10.23


悠久の 時は流れて 伊都の国

    馳せる想いは 限り知らずや

 


弥生時代中・後期に、私が住まいする糸島市と、福岡市西区の一部(旧怡土郡)に、「伊都国」が繁栄していたことが有力とされています。

3世紀に中国・西晋の陳寿が記した史書「三国志」の一部「魏志倭人伝」正式には、「魏書東夷伝倭人条」に、当時倭国と呼ばれていました日本の国情や、邪馬台国等とともに、「伊都国」のことが記述されています。おおよそ、18002000年前のことでしょうか。

 

ここでは、魏志倭人伝の詳しい内容は、有名ですから詳細は省きます。ただ、せっかく倭国(日本)のことが記述されたんですが、その記述があまりにも曖昧模糊としています。素人の私が読んでも、首をかしげること頻りです。

 おかげで、伊都国の位置はこの一帯ではないかと、ある程度有力視はされていますが、「邪馬台国」の位置は未だ不明のままです。九州か、畿内なのか、喧々諤々、今後確たる物証でも出てこない限り、決着は付かないようです。

 

残念ながら、3世紀当時の日本の、文字の文献がありません。今となっては、文献が失われたのか、文字文化そのものがなかったのかは、定かではありません。現存する日本最古の文字による歴史書「古事記」は、編纂が西暦712年です。

 

私は、歴史や考古学の専門家ではありませんので、論破とか、物証を振りかざすとか、さらさらありません。

 

伊都国王は、地理的条件から、日本でもいち早く、大陸との交易、文化交流に取り組み、人の往来も盛んだったと思います。邪馬台国の外交拠点であった可能性もあります。それは、魏志倭人伝の少ない記述からも、うかがい知ることができます。

 文字の使用と、文字文化の存在を証明する出土品等が、まだありませんが。その当時の外交・交易等の場面でも、文字なしは考えられないと思います。

 

日頃、ウォーキング中をはじめ、生活の中で、糸島平野を見渡して、肥沃な田畑や、牧畜、内湾干潟。また漁労に適した漁港等々に接っする中で、「伊都国の繫栄の条件は充分揃っているなーッ。」と、古代人の生活に想いを馳せています。

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